長崎バスのルーツの一つが、茂木よりも前に雲仙だったことはどれほどの人がご存じだろうか。
長崎バスの前身の一つであった雲仙小浜自動車と長崎県営バスは、長崎⇔雲仙間の特急バスで、激しく競合していた。

昭和15年、戦時統合の叫ばれる時代。一通の手紙が長崎県総務課長の名で届いた。

「懸案の買収問題で親しく懇談致したい。」

この2社局にも統合の話が持ち上がったのだ。

議論は酷く難航。当時の県知事が議会でこのように発言した記録が残っている。

「雲仙小浜自動車の買収は県営バス創業以来の懸案であるが、先方は県の買収に応ずる意思無きのみならず、却って反対に同社が県営バスを買収する気勢に出たため、交渉は結実をみるに至らなかった。」

結果として長崎バスの前身は、県交通局に吸収されることとなった。一度解散し、改めて県交通局が買収するという手段を取るほどの苦い決断だった。

創業者、上野喜左衛門氏が最初に足を踏み入れた地であった雲仙から、長崎バスの前身は撤退したのだ。

しかしこれが、長崎バスが長崎市、西彼杵半島の覇権を獲得するのに奔走する契機となった。

あれから80年の時が経った。

名門ホテル、雲仙・青雲荘には創業者上野喜左衛門氏の胸像がたっている。

その前にひときわ銀に光るバスが、高らかに走行音を響かせている。

シルバートリコロールのバスに光る、「雲仙」の文字。80年、結果としてこのような物語が生まれた。再び雲仙を掌握したのだ。

その様子を創業者が見かけたなら、何を考えることだろうか。

70余年の長崎バスグループの発展が、再び雲仙を担うにあたっての基盤となったことは間違いないだろう。

 

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